マンゾクネット愛知 名古屋 裏風俗 研究所 温故知新シリーズ17旧遊郭地帯を訪ねて
【2010.03.26】

温故知新シリーズ9旧遊廓地帯を訪ねて…


多治見編

東濃一の心意気で設立

岐阜県多治見市。織部など美濃焼で知られる窯業の盛んな市だが、そんな多治見市にも実はその昔、遊郭が存在していた。
地元の人でさえも知る人が少なくなっているという、多治見「西ヶ原遊郭」について今回はレポート。

旧遊廓の建物

新羅神社の北側には現在も旧遊郭の
名残をとどめる建物が現存している

町制の施行と共に遊郭設立を画策…


 岐阜県多治見市は人口約12万人、1300年前より始まったといわれる美濃焼で栄えてきた町である。奈良、平安時代にはすでに朝廷へ陶器を献上する産地でもあり、茶道の隆盛とともに、戦国、江戸時代を通じて陶磁器産業を中心に発展してきた歴史がある。今回のテーマである多治見市の遊郭について目を向けてみると、多治見の遊郭の歴史は他地域と比べて歴史的には新しい。正確にいえば、明治以前の資料が乏しいというのが現状だ。他地域でまま見られる、街道筋の「旅籠屋の女郎」といった遊郭の原型も多治見については今回調べた限りでははっきりしたことが分からなかった。 それでも多治見の歴史をひも解いていくと、意外な真実につきあたる。それは、明治22年(1889年)の町制施行と深く関係していたようだ。「多治見史」(昭和62年発行)によれば、明治22年(1889年)「市制」「町村制」が施行され、豊岡村・池田村・小泉村・姫治村が誕生し、多治見村は唯一の町制がしかれ、多治見町となった。 またこの頃、多治見から郊外へと出る街道の開設が盛んになり、市之倉新道や川戸新道が竣工、西に向けては玉野街道の工事が始まり、開通後は名古屋新道と呼ばれた。生田新道も開通し、生田川や土岐川に橋が次々に架けられていった。まさに高度成長的発展を見たのが明治20年代の多治見だったといえる。 こうした発展を背景に、遊郭設立の機運が高まっていったのである。


反対運動もあったが明治22年には開設


 明治22年(1889年)「町制施行により東濃地域唯一の町となった多治見町。こうした気負いからか、同町では街道の開発、整備と相まって当時は原野が広がっていた「新田地域」(現在の坂上町付近)の開発にも目を向けるようになった。 その開発の原動力とするべく町が画策したのは遊郭の設立だった。折しも、県庁所在地である、岐阜市では「金津遊郭」設立による街作りを画策、実行していた時期でもあり、このことは、東濃唯一の町としての品格を模索していた多治見町を大いに刺激していたものと想像できるのである。 かくして、現在の坂上町付近「字西ノ原」の地に遊郭を設立することが決まった。しかしながら、こうした動きを良く思わない町民も少なからずいた。 「多治見史」によれば、遊郭の設立に反対した町民800名が署名して、県に聴許取り消しを申請するなどの動きもあったという。 こうした難産の末に多治見町の遊郭が誕生したこをうかがい知るのである。


西盛東弱の様相…栄枯盛衰の道のり


 様々な問題もあった多治見町の遊郭設立。開業当初こそ物珍しさも手伝ってにぎわいも見せたようだが、陶業界の不況もあり繁盛は長続きしなかったようだ。 その原因を当時の関係者は「東にかたより過ぎることが不振の原因」と考え、明治26年(1893年)、現在の新羅神社の北、広小路二丁目あたりに遊郭を移転したと「多治見史」にはある。 この際、もとの字名「西ノ原」をとって、「西ヶ原遊郭」と呼ぶようになった。遊郭周辺には道路や町がつぎつぎに開け、町の東から西へは町続きとなったが、町のにぎわいが「西ヶ原遊郭」中心に移ってしまい、当時は「西盛東弱」と呼ばれたという。 その後、地場産業の陶業の景気に左右されながらも、昭和2年(1927年)頃には「西ヶ原遊郭」も最盛期を迎え、娼楼18軒娼妓100人を数えるようになる。「日本遊里史」によれば、昭和4年(1929年)当時の岐阜市「金津遊郭」が娼楼59軒娼妓427人、大垣市の「旭郭」が娼楼15軒娼妓158人とあるので、多治見町が「東濃唯一の町」を自負する規模であったことがお分かりいただけるだろう。 こうして時代は戦中、戦後の時代を駆け抜け、「西ヶ原遊郭」もこの混乱に翻弄されていく。 比較的戦中は空襲の被害も少なかったという多治見町だが、戦時中「西ヶ原遊郭」の娼妓たちは「弥生連国防婦人会」を結成し、慰問袋などを戦地に送り続けたという。また戦後も進駐軍の駐屯が他都市に比べて緩く、生活品が欠乏する中で、陶磁器は生活の必需品でもあり、そうした需要の高まりと相まって、産業復興も比較的早かったという。 しかしながら、迎えた昭和33年(1958年)。売春防止法施行を機に「西ヶ原遊郭」は全軒廃業する。当時残っていた23名の芸妓は更生資金・廃業手当等をもらい、それぞれに結婚、就職等自立の道を進んでいった。 さて、ここまでが多治見の「西ヶ原遊郭」の知られざる歴史である。 感嘆するのは、こうした町にもかつて遊郭があり、映画館があり、独自の地域文化、風俗を形成しながら、街にはない充実した生活があったことである。まさにそれは小宇宙と呼ぶにふさわしいが、そこに先人達の気概を感じることを禁じ得ない。

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